- 2009/07/05 三沢光晴さんDEPARTURE〜フォーエバー〜
- 2009/06/19 きのうは誕生日、お通夜、合同会議
- 2009/06/14 追悼、三沢光晴選手〜安らかにお眠り下さい〜
- 2008/12/19 再び雄姿を見せてくれ「小橋建太」
- 2008/11/23 川田利明選手、ストロングスタイルを・・・
- 2008/07/20 リングス「THE OUTSIDER 第弐戦」
- 2008/05/03 夢をありがとう「小橋健太」がんばれ!
- 2007/12/03 小橋健太生還!不死鳥チョップ217発
- 2007/12/01 明日は小橋建太、“命”を懸けた復帰戦!
- 2007/10/29 小橋健太が戻ってきた 12月2日に試合
きのう7月4日ノアの聖地、ディファ有明で6月13日にリング上の事故で急逝した三沢光晴さんのお別れ会に予想をはるかに超えた2万6千人が集まりました。お別れ会ですがDEPARTURE(旅立ち)として、その遺志を全プロレスラーの方に受け継いでほしいと思います。
団体の垣根を越えて、多くのプロレスラーが参列していました。ジャンボ鶴田選手が外国での肝臓移植手術中に亡くなることをきっかけとして臓器移植問題などに積極的に取り組んでいました。プロレスファンを超えた三沢光晴さんの人柄に共鳴する多くの方が参加していたのもその参列者数にあらわれていたと思います。
第一部のお別れ会で徳光和夫さんが弔辞を読み上げ、50歳過ぎたら政治家となってもらいたかったとのべていました。人格者であり、人間的にも魅力のあるレスラーでした。低迷するプロレス界ですが、リングで戦う姿に多くの勇気と感動をいただきました。自分自身の人生をオーバーラップしているプロレス、今後盛り上げるために、乱立気味の団体が協力して隆盛するように一致団結してがんばってほしいと思います。
きのう日本テレビで追悼番組が1時間放送されていました。こちらは明日6日の26時54分からテレビ金沢で放映されます。2万6千人が訪れた「お別れ会」の様子や小橋・健介・蝶野・藤波・曙らの追悼インタビューも紹介。また三沢選手の過去の激闘・名勝負を、生前の秘蔵インタビューとともに振り返ります。全日本時代からは、J鶴田戦・ハンセン戦・川田戦・2年連続年間最高試合の小橋戦など。ノア時代からは、他団体選手との対抗戦・交流戦、年間年間最高試合の小橋戦、ノア次世代担い手と激闘のGHC戦などを紹介されます。
遅い時間なので、録画して見たいと思います。三沢光晴さんの遺志を小橋選手受け継いでいってほしいと思います。新たなDEPARTURE(旅立ち)として、プロレスの発展と三沢光晴さんの魂は、ファンの心に永遠に刻まれることでしょう。〜フォーエバー〜三沢光晴さん、ありがとう三沢光晴さん。
三沢さんが全日本に入門した81年から、日本テレビのアナウンサーとして親交があった徳光和夫(68)=現フリー=は弔辞で「私利私欲を考えずプロレス界のため、人のために尽くした人」「ウソをつかない。人の誤りをきちんと正す。私腹を肥やさない」と人柄を紹介。「オバマ大統領のリーダーシップが君と重なりました」と惜しんだ。
徳光は「(最後に会った)1月下旬の様子は、言えないほど疲れていた」と回想。「死して名を残すのは男としての本懐。男として立派な人生を全うしたんじゃないか」と、故人をしのんだ。また、大相撲の富士ケ根親方(元小結大善)らも弔辞を読んだ。
6月13日にリング上の事故で急逝したプロレスラーの三沢光晴さん(享年46歳)=ノア=のお別れ会「DEPARTURE(旅立ち)」が4日、ホームリングのある東京・有明のディファ有明で営まれた。当初、一般参列者は5000人が見込まれていたが、5倍にもあたる約2万5000人が詰めかけ、長蛇の列は距離にして最大2・4キロにまで及んだ。第1部の来賓約1000人と合わせ、2万6000人という多くの関係者、ファンに別れを惜しまれながら天国に旅立った。
三沢さんが、多くの人と花に埋もれて盛大に旅立った。GHCヘビー級チャンピオンベルトを巻き、雄々しく見下ろす等身大の遺影に向かい、2万5000人が花をささげた。「みさわぁ、ありがとう!」と絶叫する男性がいれば、気を失い救急車で運ばれる女性もいた。献花台に使われたリングはトップロープから花があふれた。エメラルドグリーンのマットには全国から集まった人々の思いがぎっしり詰まった。
ホームに帰ってきた三沢さんに最後の別れを告げるために集まった参列者は約2万5000人。記帳受け付けの午後6時が過ぎ、日が沈んでも絶えることはなかった。蝶野正洋、曙らレスラー・関係者だけで行われた第1部には約1000人が集まり、一般には1時間後の午後2時から開放。最前列は前日午後4時半から並ぶ徹夜組だった。昼過ぎから人が集まり出し、午後4時をピークに1万人超え。会場のディファ有明から約200メートル離れた最寄り駅の新交通ゆりかもめ「有明テニスの森駅」では、最後尾に並ぶために2駅離れた「新豊洲駅」まで再び乗車して移動する人々の姿も多く見られた。
プロレス界では99年4月に東京・日本武道館で行われた故・ジャイアント馬場さん(享年61歳)のお別れの会の2万8000人に次ぐ規模。献花の列は距離にして最大約2・4キロに及んだ。午後2時過ぎには所轄の警察・消防から「安全上、予定時間の午後6時までに終わらせるように」との通達を受けたほどだった。中央区の晴海と江東区の豊洲を結ぶ全長580メートルの「晴海大橋」は片側の歩道が渡り切る寸前まで人で埋め尽くされ、3時間かけて献花台にたどりつく状況だった。最後に献花した都内在住の廣田麗子さん(30)は「三沢さん、今までありがとう」と話し涙ぐんだ。2万6000人の思いを集約する言葉だった。
◆主な参列者 ▽プロレス関係者 長州力、藤波辰爾、坂口征二、蝶野正洋、永田裕志、獣神サンダー・ライガー、天山広吉、佐々木健介、北斗晶、曙、谷津嘉章、ザ・グレート・カブキ、田中将斗、金村キンタロー ▽芸能関係者 徳光和夫、イジリー岡田(順不同、敬称略)スポーツ報知より引用しました。
偶然というのはあるのですね。とても悲しい偶然です。13日の試合中に亡くなった三沢光晴選手。きのうは生きていれば47歳の誕生日でした。誕生日の日にお通夜がしめやかに行われ、多くのプロレス関係者が弔問に訪れました。謹んでご冥福を申し上げます。
大手3団体のトップがこの日に都内の自民党本部に招かれ、文部科学部会・文教制度調査会の合同会議で再発防止策や健康管理について意見交換しました。統一コミッショナー設立に向けて、動き出そうとしています。低迷するプロレス界ですが、今回の悲劇が繰り返さないよ協力して発展するよう努力してほしいと思います。
地元選出の元プロレスラー馳浩代議士が音頭をとって今回の合同会議を開きました。国会議員の中にも元レスラーの方もいて、プロレスに理解をしめす議員のかたも多くいます。スポーツなのか、興行なのかというそもそも論よりも今回の合同会議で話されたことを実現していってほしいです。それと、最後の対戦相手となった斎藤彰俊選手の家族に対して心ない一部の人がいやがらせをしているのは人間として最低です。
悲劇を繰り返すな!!プロレス団体「ノア」の社長兼選手として活躍した三沢光晴さん(享年46)が13日の試合中に頭を強打して死亡した事故を受け、大手3団体のトップが18日、都内の自民党本部に招かれ、文部科学部会・文教制度調査会の合同会議で再発防止策や健康管理について意見交換した。三沢さんの47回目の誕生日だったこの日、全日本の武藤敬司社長(46)、新日本の菅林直樹社長(44)、ノアの仲田龍・取締役統括本部長(47)らが、日本プロレス史上初となる「統一コミッション」の設立に協力していくことを表明した。
三沢さんは13日夜、広島市内での試合中に相手選手がかけた技で頭から落ち、搬送先の病院で死亡が確認された。不世出の天才レスラーを襲った悲劇-。今回の事故により、“スポーツ”という枠には収まらない、特殊な世界であるプロレスの体質に、抜本的な見直しが求められている。
会議は「格闘技興行における事故死について」という議題で行われた。元プロレスラーで、同部会長の馳浩衆院議員は「6月18日は三沢選手が生きていれば47歳の誕生日。あらためてお悔やみする」とあいさつ。現役プロレスラーの神取忍・参議院議員や、プロレスに縁のある森喜朗元首相、松浪健四郎・衆議院議員も出席した。議員からは「プロレス業界には統一された協会がなく、コミッショナーもいない。今後、どうするのか。この現状の中で最低限のルール作りをすべきではないか」との声があった。
90年6月の新日本・福岡大会で一時心肺停止状態となった経験のある馳会長は、健康管理について厳密に規定している日本プロボクシングコミッションを参考例として挙げ、「自主的に手を取り合って2度と事故を起こさないように取り組んで欲しい」とした。さらに「こういうルールのもとで選手を育成し、万一のことがあったらこうなる-というのがないと誰も安心して業界に入らない」と訴えた。
3団体は「統一ライセンス発行」について今年3、5月に会合を行い、今月24日に予定されていた会合を経て7月に発表予定だった。だが、今回の事故で、さらに進んでコミッションの設立を求められたことになる。
武藤社長は「統一的な機構ができるか、トライしていくことがプロレスのためになる」と話し、菅林社長も「統一された協会に進んでいくと思う」。仲田本部長は「1日も早く統一した協会を作らなければならない。三沢もそれを望んでいると思う」と語った。あまりにも大きな犠牲と引き替えに、プロレス界が一枚岩になりつつある。[デイリースポーツ]
馳浩ノーザンライトウェブ
18日のはせ日記に合同会議の詳しい内容が出ています。
きのうの「ノア」広島大会、メーンイベントの60分1本勝負のGHCタッグ選手権試合でバックドロップを受けて、そのまま昏睡状態で心肺停止状態になりました。リング上では心臓マッサージやAEDを使って蘇生を試みたのですが、運ばれた病院で亡くなりました。享年46歳です。急な出来事できょうは気持ちが沈んでいます。プロレスファンとして、謹んでご冥福を申し上げます。
三沢選手を知ったのは、2代目タイガーマスクとして全日本プロレスに登場してからです。今は亡きジャンボ鶴田との試合は本当にいい試合でした。ジャンボ鶴田の切れ味抜群のバックドロップを何度も受けながらカウントを跳ね返していた姿が脳裏に浮かびます。ジャイアント馬場が亡くなって全日本からノアを立ち上げ、社長業とレスラーの二束のわらじをはいていました。私も石川県で試合があるとよく見に行きました。普段は物静かで頭の良い方で紳士です。リングでは受身の上手な選手で、相手の技をしっかり受け止めていました。三沢選手や小橋選手、ノアの選手は激しく熱い戦いをしています。基礎もしっかりしていますが、激しい戦いで怪我にも悩まされていました。一流のプロレスラーは相手の良いところを100%出させて、自分の良いところを出すのです。その戦いの中で観客との一体感が生まれてきます。
三沢選手のエルボーは切れ味抜群です。華麗な空中殺法や決め技の「エメラルドフロウジョン」はすごい威力です。ジャンボ鶴田と同じアマレスリング出身で「受け身の天才」とも言われてきた選手が1人いなくなりました。プロレスファンとして、とても悲しい出来事です。三沢選手は低迷する人気の中での社長業でたぶん心労が重なったのでしょう。その遺志をリング上でレスラーの皆さん、これが「プロレス」というのを見せて下さい。
スポーツ報知より引用しました。
三沢が、死んだ―。日本のプロレス界を代表するプロレスラー・三沢光晴さんが、帰らぬ人となる痛ましいリング事故が起きた。13日に広島市中区基町の県立総合体育館(広島グリーンアリーナ)で行われたプロレス団体「ノア」広島大会の試合中に頭部を強打し、心肺停止に陥った。市内病院の集中治療室に搬送されたが、処置のかいなく搬送先の広島大学病院で亡くなった。46歳の若さだった。
試合は午後8時10分頃始まり、事故が起きたのは試合開始25分過ぎだった。三沢さんは、メーンイベントの60分1本勝負のGHCタッグ選手権試合に若手の潮崎豪(27)と組んでタイトルに挑戦。王者組の斎藤彰俊(43)のバックドロップを受け、後頭部をマットに強打し、意識不明となった。
浅子覚トレーナー(38)がリングに上がり、声を掛けたが、三沢さんは息をしていない状態で心臓が止まっていた。観客席に居合わせた医師がリングに駆け上がり、心臓マッサージ、自動体外式除細動器(AED)による蘇生が試みられたが三沢さんは全く動かなかった。この間リングサイドのファンから「ミサワ、ミサワ」とコールが上がり、搬送後も約2300人の観客で埋まった会場は騒然とした状態が続いていたという。
複数の関係者によれば一時は心臓が動いたというが、搬送先の広島大学病院の集中治療室での懸命の救命措置のかいもなく、一度も意識が戻らぬまま午後10時10分に帰らぬ人となった。救急車に付き添った百田光雄副社長(60)が最期をみとったという。選手らは試合後、病院に駆け付け一時は解散。宿泊先の市内ホテルで待機していたが、14日午前0時前に再び病院に全員呼ばれて訃報(ふほう)を伝えられたという。まだ46歳。18日には47歳の誕生日を控えていた。
広島県警は試合関係者らから事情を聞き、当時の状況を調べている。
レスラー歴28年の三沢さんはレスリングの名門、足利工大付高出身で3年時に世界ジュニア選手権に出場、国体で優勝した。81年3月に故・ジャイアント馬場さんの全日本プロレスに入門し同年8月21日にデビュー。蝶野正洋、武藤敬司、05年7月11日に急死した橋本真也さんらと肩を並べるトップレスラーで、00年7月7日にプロレス団体のノアを旗揚げし、社長業との二足のワラジをはく激務をこなしてきた。2代目タイガーマスクとしても知られ、華麗な空中殺法や投げ技の「エメラルドフロウジョン」は代名詞。「プロレスの教科書」とも評されるほどレスリングの基本に忠実で「受け身の天才」とも言われてきた。
岩石落としとも言われるプロレス技「バックドロップ」は後方から相手を抱え上げ真っ逆さまに後頭部を叩きつける技。死因は不明だが、基本とも言われるプロレス技で受け身に失敗したとも思えない。観客の一人は「お客さんもザワザワするぐらい変だった。(最初から)三沢らしからぬ精彩を欠いた動きだった」と試合時の三沢さんの様子を話していた。
◆三沢 光晴(みさわ・みつはる)1962年6月18日、北海道・夕張市生まれ。46歳。81年8月に全日本プロレスでデビュー。以後、2代目タイガーマスクへの変身を経て全日本のエースに君臨。2000年8月に全日本を退団しノアを旗揚げし社長に就任。06年9月にはグローバル・レスリング連盟初代会長に就任した。得意技はエルボー。185センチ、118キロ。血液型O。
◆プロレスリング・ノア 2000年6月に全日本プロレスを離脱した三沢光晴を中心に結成されたプロレス団体。三沢を含む約50人の全日本離脱者が集まり、日本プロレス史上最大規模の団体となる。同年8月のディファ有明での旗揚げ戦以降、有明コロシアム、東京ドーム、日本武道館などで興行を開催。近年では全日本や新日本プロレスなど他団体との交流も見られる。地方興行の観客動員の減少や、今年に入って地上波テレビ中継が打ち切られるなど、近年は人気の低迷が目立っている。団体名の由来は旧約聖書に登場する「ノアの箱舟」から。

三沢光晴選手、たくさんの勇気と感動をありがとう!
安らかにお眠り下さい。ノアのレスラー、すべてのレスラーの皆さん、遺志を受け継いでがんばって!
9月以来、リングに登場していないので心配していましたが、9月9日に右腕遅発性尺骨神経麻痺、両肘関節遊離体により欠場、手術を行ったのです。試合には欠場していますが、サイン会、撮影会、トークショーには参加しています。再発したのかと思っていましたが、試合での怪我だったのです。ほっとしました。ゆっくり治療してまた、熱い小橋建太を見せてほしいです。
何回も小橋健太という本名でご紹介しましたが、正確には2000年にノアが創設されたのを機に新しい自分を建てるという意味を込めて「小橋建太」に改名しています。これからは小橋建太でご紹介します。
2006年7月18日の高山善廣復帰戦に際し、小橋と高山がタッグを組むことで話題を集めましたが、2006年6月29日、精密検査で腎臓癌が見つかり、手術・治療のため、無期欠場。7月に腹腔鏡下手術を行い、無事成功。189日後の12月10日の日本武道館大会に姿を見せ近況を報告、2007年10月27日の日本武道館大会に姿を見せて、復帰戦の対戦カードを自ら発表。そして12月2日の日本武道館大会で、546日ぶりとなるリングに復帰しました。2008年の上半期は会場限定で出場を行い、2月26日にデビュー20周年記念試合が行なわれました。その後、海外遠征やイベント、単発興行にも出場。8月シリーズより全戦出場を果たしたのですが、今回の怪我で欠場中です。
大根斬りチョップ 、剛腕ラリアット 、マシンガンチョップ、ムーンサルトプレスなどの熱い技を再び見せてほしいと思います。今は焦らずに完璧に治して下さい。がんばれ小橋建太、不死鳥のように甦れ小橋建太。待っているぞ!。

今回は私の好きな格闘技のお話です。興味のある方だけ、見てください。
川田利明選手、昔のストロングプロレスを見せてください、お願いします。
今の「ハッスル」での試合は、昔の川田選手をよく知っているファンとしては耐えられません。
ジャイアント馬場選手が健在の頃の、あなたのストロングスタイルには熱いものがありました。小橋健太とともに、激しいプロレスを一体となって観たものです。
ハッスルでのあなたの歌を歌う姿や完全にショー化してしまった戦いを観るのは絶えられません。全日本プロレス、その後の分裂で全日本プロレスを支えた姿からは想像もつきません。ほとんどの選手がノアに行って、その明るく、楽しく、激しいプロレスを受け継いでいます。今の全日本プロレスは武藤 敬司選手(グレートムタは悪の化身)、小島 聡選手が中心です。2人とも新日本プロレスから移籍した選手です。
私は川田利明選手の今のスタイルを全否定するつもりはありませんが、あなたには「ハッスル」の場所は似合いません。昔からのファンとして、堪えられないのです。いつの日かストロングスタイルの激しいプロレスを小橋健太とともに見せてください。そういえば病から復帰した小橋健太選手を9月6日の日本武道館 から出場していないのは気がかりです。ファンとして心配です。
ハッスルのオープニング
久々の格闘技の話題です。基本的にはプロレスが好きなのですが、きのう開催された、前田日明さんがプロデューサーを務める腕っ節に自信のある不良やアウトローたちを対象にした異色のアマチュア大会『ジ・アウトサイダー』第弐戦。前回は今年の3月30日に開催され、今回は前回をしのぐ人気となりました。今回は前回の22試合を上回る25試合が組まれ、出場希望者も50名をこえました。
前田日明さんは「乱闘になった時に、一番目立つように」と赤いブレザーを着てリングサイドへ陣取り、前回同様、エンセン井上さんと村上一成さんがリング上に目を光らせていました。以下引用文
試合は第1試合から異様な盛り上がりを見せ、順調に進行されていたが、事件は第4試合で勃発した。“横濱ギャング連合 ハマの狂犬” 黒石高大がゴングと同時に突っ込み、“関東襲撃 駿河の鉄板” 増田良平が右フックのカウンター一撃で秒殺KOした直後、黒石の応援団が大挙してリングに乱入。一時は大混乱となり、場内は騒然。
主催者サイドの対応が早く、また乱入者たちも勝者の増田に手は出さなかったため大事にはならなかったが、イベント中で最もヒヤリとさせられる場面だった。
試合は全国の腕っ節自慢たちが試合開始と同時にラッシュを仕掛け、秒殺決着や一本・KO勝ちが続出。第2回大会は第1回大会を上回る大盛況の内に幕を閉じ、前田日明大会プロデューサーは「世間では不良だとかならず者のように彼らのことを言いますが、こんなにタフで一途で激しい男たちなんです。本当にこいつらの中に埋もれている、世界に通用する逸材をこれからどんどん発掘していきます」と、マイクで訴えた。
素人の真剣勝負です。場内は異様な雰囲気で、ガチンコ勝負です。新たな格闘技として、この中からプロになる選手が出て来ると思います。詳しくは下記にサイトでご覧になって下さい。
THE OUTSIDER 第弐戦
GBR
今日から4連休、天気も良く皆さんはどのような休日を過ごしますか。新聞でディズニーランドが今年人気で、休日は滞在型に変わってきているそうです。いいなあ!
4月27日、日本武道館で行なわれた「ノア」の「グローバル・タッグリーグ戦’08」最終戦に6人タッグマッチで登場。大「小橋」コールに迎えられた小橋は、花道の途中で一度立ち止まり、客席をグルリと見回してからリングイン。ゴングを待たずにKENTA、本田が飛び出していくと、小橋も潮崎と向かい合い、激しい逆水平チョップの打ち合いを繰り広げる。マシンガンチョップを打ち込んでいった小橋すごい迫力で、病魔を克服した姿にいつも感動しています。
そんな小橋健太ですが、30日のインタービューで次のように話していました。以下引用文
腎臓がんから再起した小橋健太(41)が30日、月例の検査結果を「筋肉も内臓もダメージ的なものは上がっている。交通事故に遭ったような数値と(医師に)言われた」と明かした。
前シリーズで、昨年12・2武道館の復帰以来最多となる全19試合中11試合に出場。影響は大きかったが「体のことより完走した意義の方が大きい」と強気に話した。片方を切除した腎機能は異常が見られず「1個にしては頑張っている状態。何も不安に思っていない」と悲壮感はない。
三沢社長は「元気な姿を見せたいだろう」と、次シリーズ(5・15後楽園開幕)は復帰後未出場の北陸、東北、北海道大会を中心にスポット参戦させる意向だ。
小橋は「なるべく出たいけど、一つ一つクリアして先が見える」と、まずは故郷の5・11福知山大会に全力を注ぐ。
交通事故に遭ったような数値と言われた。それだけハードな試合をしています。一切の妥協を許さない小橋健太、前向きにがんばる小橋健太。私は、小橋健太から元気をいつももらっています。腎臓ガンで片方しかない体ですので、たんぱく質を充分取れない体ですが、ここまでがんばってきました。41歳のがんばる雄姿を今後も見せてください。小橋健太ありがとう。そして、がんばれ小橋健太!

昨日は日本VS韓国の試合を最後まで見ていて、日本の勝利に興奮したついでにテレビを見ようと思いましたが、遅い時間ですのでビデオにとりました。まだ、見ていませんが今日の夜にゆっくり見ようと思います。
私がいつも見ているスポーツナビで小橋健太の復活を見て、早く見たいなあと思います。
以下引用文です
鉄人、復活!腎臓がんを驚異的な回復力で克服した小橋建太(40)が2日、苦難を乗り越え、「WinterNavigation’07最終戦」でノアの聖地・日本武道館に帰ってきた。06年6月4日札幌大会以来、546日ぶりのリングに上がった小橋は、脳こうそくから復帰した高山善廣(41)と組み、三沢光晴(45)&秋山準(38)組と激突。三沢の雪崩式エメラルドフロウジョンを浴びて敗れたが、ブランクを感じさせない動きを披露し、健在ぶりを満天下に証明した。
546日分の苦闘を217発のチョップに込めた。小橋の一挙手一投足に超満員札止め1万7000人が絶叫。その足音は地響きを立てて武道館にこだました。「リングはいいね。最高」。鉄人は喜びをかみしめた。
入場口付近に設置された、ファンの祈りを込めた約7万羽の折り鶴を背に、小橋は一歩一歩、花道の感触を確かめながら歩を進め、聖地のリングを踏みしめた。黒いガウンを脱ぐと、ブランクを感じさせない鍛え上げられたボディーが露出。運命のゴングが鳴った。
予想を超える27分の激闘。咆吼(ほうこう)とともに力をためると、一呼吸で最高65発のチョップをぶっ放した。月面水爆やバーニング・ハンマーなどの必殺技が次々にさく裂するたび、ファンの不安を取り除いていく。「本当にやれるのか?と思っているファンを裏切りたい」という公約を果たす内容だった。
右の腎臓を摘出。復帰は絶望視され、医師から「まず生きること」と言われた。それでも、復帰に迷いはなかった。1年半の欠場中も、小橋は「趣味?何もなかったなぁ。一番したいことは趣味じゃないもん。プロレスやりたいんだもん」とリングだけを見据えた。
秋山&三沢組をいきなりねじ伏せることはできなかったが、ファンの心に“next”を刻んだ。翌3日には月例の血液検査を控える。「何を言われるか分からないけど、ドクターストップがかかってもプロレスを続ける」と言い切った。「復帰の喜びより、負けた悔しさの方が大きい」と、早くも勝負師の顔に戻った。そして、自問自答した。「プロレスって何だろう?それが分からないからリングに帰ってきた。辞めるまで答えは出ないかもしれない。だからこそ戦い続けていきたい」。鉄人の新たなプロレス人生が始まった

入場シーン高山善廣と 小橋健太「雄たけび」
スポーツナビ http://sportsnavi.yahoo.co.jp/fight/other/live/2007/2007120201/8.html
明日は待ちに待った12月2日(日曜日)。
日本武道館でノア「Winter Navigation’07」最終戦に小橋健太選手がメインイベントで高山 善廣選手とタッグを組んで三沢 光晴選手 秋山 準選手と対戦します。
2006年06月29日…右腎臓に4〜5cmの腫瘍が見つかり、治療のため無期限欠場となる。
2006年07月06日…5時間半に渡る手術が成功。腹腔鏡(ふくこうきょう)による右腎臓摘除。
2006年12月10日…日本武道館大会にて約半年ぶりにファンの前に姿を現す。挨拶で「必ず、このリングに、帰ってきます!」と宣言
2007年10月27日…日本武道館大会に再度姿を見せ、「レスラー小橋建太として戻ってきます!」と宣言し小橋自身の口から復帰戦のカードを発表。その直後復帰戦でタッグを組む高山善廣、対戦相手となる三沢光晴、秋山準が登場しがっちり握手を交わす。
明日の試合は深夜1時30分から1時間枠で放送されます。少し遅い時間ですが、ビデオを撮ってゆっくりと小橋選手の復帰戦を見たいと思います。「小橋」コールが日本武道館に響くことと思います。
剛腕ラリアット・逆水平チョップ・マシンガンチョップが炸裂すると思います。小橋健太おめでとう。頑張れ小橋健太。

小橋健太ラリアット http://www.youtube.com/watch?v=8yiUv7K79Bg
27日に「ノア」武道館大会で小橋健太がリング上から挨拶しました。試合は12月2日です。当日はタッグマッチで雄姿をまた見られることに「おめでとう」とエールを贈りたいと思います。以下引用文
27日・日本武道館、鉄人が戻ってきた!腎腫瘍(しゅよう)を克服し、12・2ノア武道館大会で復帰する小橋建太(40)が27日のノア武道館大会に来場し、リング上であいさつした。ファンの前に姿を現すのは病状を報告した06年12月10日武道館大会来、約10カ月ぶり。注目の復帰戦は、高山善廣(40)と組み、三沢光晴(45)&秋山準(38)組と激突する。
会場が暗転し、武道館に鉄人のテーマ曲「GRAND SWORD」が流れる。19時26分。紫のネクタイを締めた小橋が、ついにリングに立った。「12月2日の日本武道館、プロレスラー小橋建太としてリングに帰ってきます!」。1万4000人の地鳴りのような小橋コールに包まれながら、懐かしそうに四方を見渡した。
続けて「対戦カードは、高山善廣と組んで、三沢光晴、秋山準組と戦います」と発表。06年7月18日、脳こうそくからの復帰戦となった高山のパートナーを務めるはずだったが、自身の欠場で幻となった一戦だ。観客にあおられ、出場する3人もリングに集結。高山と抱擁し、秋山、三沢とは握手を交わした。
06年6月4日札幌大会後に行われた健康診断で腎臓に腫瘍が見つかった。右腎臓摘出の手術は成功したが、主治医や周囲の反対も大きかったが、本人は現役復帰にこだわった。
現在も月1回、血液検査を受けている。11月上旬にも復帰戦前としては最後の検査を受けるが「不安?どうすればいい(結果)なのか、という探りをずっと続けてきた。だから問題ないという自信がある」と、迷いのない笑顔を見せた。
546日ぶりとなる実戦のリング。「自分のせいで流れたカードにケジメをつけたい」と気合十分だ。“帝王”高山は「どうせ『オレがオレが』って出て行くでしょ。病み上がりチームで勝利を飾りたいね」と大胆に勝利宣言。ノアの“聖地”日本武道館で、鉄人復活のゴングが鳴らされる。
熱い思いを爆発させて欲しい「小橋健太!頑張れ」
試合楽しみにしているよ













