衆院議員で文部科学省副大臣の馳浩(45)が、引退記念試合に出場し、21年間のレスラー生活にピリオドを打った。負傷のため、この大会に参戦できなかったプロレス同期の元盟友・佐々木健介(40)=健介オフィス=もコーナーに合流。観戦した森喜朗前首相(69)も乱闘へ応戦ポーズを見せるなど、華やかな有終となった。3冠王者・太陽ケア(30)は初防衛に成功した。
トレードカラー、黄色のパンツの見納めだ。馳が魅せる、回す。試合前の公約通り、YASSHIの両足をつかむと自らの年齢を刻む、怒濤の45回転。得意のジャイアントスイングが加速する。会場のボルテージは最高潮となった。
新日本時代に「ハセ・ケンコンビ」を組んだ健介もセコンドに駆けつけ、最後はリングになだれ込んだ健介と“最後のタッグ”で相手を蹴散らす有終。所属する自民党森派の領袖で、観戦に訪れた森前首相もあわや乱闘に巻き込まれかけると、イスを持ち上げ応戦ポーズ。馳の最後の舞台を盛り上げた。
「初志を貫徹した」。長女・鈴音ちゃん(8)から花束を受け取ると涙が出た。「いつか総理大臣になれたら、SPを連れてまたリングに上がりたい」。ファンへ新たな“公約”を残した。
馳浩さん長い間、ご苦労様でした。今後は国政に専念され、総理大臣を目指して頑張ってください。
高校の先生、アマレスからプロレス、参議院議員そして、代議士とさまざまな経験をされてきました。馳さんほど人生経験が豊かな政治家はいないと思います。経験を生かして、ぜひ私達の目線で政治を行なって下さい。
わが町出身の森前総理も乱闘にならなくて良かった。本音はなったらどうなっていたか楽しみでもあったのですが。
馳浩衆院議員(45)が、左眼窩(がんか)底骨折で欠場した佐々木健介(39)に代わって全日本石川大会に緊急出場した。武藤、小島とのタッグでTARU組に快勝。最後は馳が北斗原爆固めでYASSHIを仕留めた。地元での「引退記念興行」は当初試合の予定がなかったが、弟分の佐々木の緊急事態に急きょ出場を決意。昨年2月5日以来、533日ぶりにリングに復帰した。8月27日には全日本両国大会で正式な引退試合を行う。
馳浩選手といってよいか馳代議士といってよいのか、馳浩でいいか。昨日、金沢で急遽引退試合を行ないました。
馳浩とは高校の後輩で面識があるようになったのは1995年の参議院選挙に立候補した時からです。
確か6月に地元の同窓会を立ち上げて欲しい、もちろん選挙がらみではありましたが時間がないのですぐにと言うことでそれこそ、一週間で立ち上げ総会を開催しました。当日は本人と奥様の高見恭子さんに出席をいただきそして校長先生、同窓会長といくら選挙がらみとはいえ、そうそうたるメンバーが出席していました。
急遽ということもあり時間がない中で20人ぐらいの同窓生を集められたことは大変よかったと思います。その後、後にも先にもこの時一回きりの集まりで今は休眠状態です。せっかく集まったのですし名簿もあるのでまた、集まりたいと思います。馳浩が引退試合をしたということで、その当時のことが昨日のことのように思い出されます。
馳浩代議士のホームページやブログがあります。政治家、馳浩の考え方や活動がよくわかります。皆さん見てね。
http://http://hasenet.org/
http://blogs.yahoo.co.jp/hase_hiroshi0505
ノアの三沢光晴社長(44)は29日、都内事務所で緊急会見し、小橋建太(39)が腎腫瘍(しゅよう)摘出手術のため次期シリーズ(7月1日、東京・ディファ有明)から欠場すると発表した。三沢社長は「悪性が疑われる。(がんの)疑いが濃い」とし、患部には「4〜5センチの腫瘍がある」と説明。小橋は現在、自宅療養中で、最善の治療を受けるために入院先を探しており、近日中にも手術を受ける。
小橋は今年1月に「ちょっと痛いんだよね」と腰の痛みを訴えていた。三沢社長の説明によれば、19日に行われた健康診断のエコー検査で異常が認められ、その後のCT検査で腎腫瘍であることが発覚。腎腫瘍は一般に悪性の可能性が90%あると言われるが、27日に顔を合わせた三沢社長は「普段の小橋だった。本人は復帰への強い気持ちで頑張ってくれている」と苦渋の表情を浮かべた。
引用文
小橋健太とは全日本プロレス時代からよく知っています。
石川県にプロレスの興行に来たときはその当時毎回見に行っていました。
当店にも川田利明・永源遥と来ていただいて、写真とサインをいただきました。その晩には一緒に飲みにも行きました。
プロレスの熱い思いを語っていたのが印象的でした。
病気と聞き、すごくショックを受けています。一日も早い回復をお祈りしています。小橋健太ガンバレ!
私が小学校の時に、毎週日本プロレス中継がありました。
三菱の掃除機がリングを掃除しているシーンが毎週出てきます。力道山亡き後の、ジャイアント馬場・アントニオ猪木がメインを張っている時代です。
その中で、名脇役の吉村道明が忘れられません。タッグマッチで外人と対戦するのが多いのですが、小さい体で外人選手によく痛めつけられ、そして流血。最後には回転えび固めで一本取ることが多かった。
その当時の試合はなぜか三本勝負が多く、一対一の三本目で決まる試合がほとんどでした。(セミファイナル以降)
また、レフリーの沖しきなも忘れられません。
フォールのスリーカウントは遅いのですが、ここ一番と言うときに高速カウントで最後は日本組が勝利を収めていました。よく、外人選手にシャツを破かれていたのが特に印象的です。
外人選手では、数多くいますが、白覆面のデストロイヤー・ボボブラジル・ジンキニスキー・鉄のつめのF・フォンエリック・アブドーラブッチャー・ファンク兄弟・・・・
見ていて、わくわくするプロレスだったと思います。
古きよき時代のスター選手と外人選手。スター選手とヒール
選手誰もが、興奮した時代だったのではないかと思います。



